奇跡とか神通力とか
クリスチャン作家、三浦綾子による小林多喜二の母をモデルにした小説を読む。
特高に虐殺された息子に対し、なぜ神仏がいるなら、その神通力で助けてくれなかったのかと憤る母、セツ。
私もずっと前からそのことを考えていて、聖書には数々の奇跡について書かれているのに、なぜ現代ではそれが起きないのか。
読売新聞の論説委員は、イエスは人の良い貧しい男で、人々の悩みは聞いたが奇跡など起こさなかったと書いていた。
見たわけじゃなし、真相はわからん。起こしたかもしれんし。
ただこれは信仰や宗教学に詳しい人でないと、説明はできんでしょう。
牧師さんで仏教や神道に詳しく、僧侶や神主さんでキリスト教に詳しい人はいるのか。
学問としてだけでなく、信仰の観点から話ができる知識人はいるのか。
そもそも神がいるなら、万人にわかりやすい形で福音をあまねく伝えることが
可能なのではないのか。
そんなことを思ったりします。
人を不幸にする宗教って、意味ないです。
私は色々な本を読み、牧師さんの話も聞いてきました。
お坊さんの本もインド神話も読みました。
私の教会では、信仰で病気や障害が治った「話」を聞きます。
見ずに信ずる者は幸いです
と言いますが、
絵に描いた餅ではなく、実際に味わって食べてみたいのです。
それがあまねく福音を伝えるということだと思います。
だいたい、多様性とか言うのは、良いものは全部良いということだと思います。
キリスト教だけ良いとか、仏教だけ、イスラムだけ、神道だけという
了見の狭いこと言ってる宗教って、なんなんでしょう。
神ご自身の栄光とは?
聖書には色々書いてあるけど、悪いもの信じたらダメだけど、自分以外ぜんぶ悪みたいなの、どうなんよ?
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